「牙の欲望」



人の形をした獣が肉を貪っていた。数分前まで呼吸をし、心臓を動かせていた生物は今はただの肉塊と化している。

それに牙を立てる獣…鋭利な牙が何本も並ぶ口で肉にかぶりつく…

脳みそ、心臓、はらわた…次々と獣の胃袋へと飲み込まれている。ひとしきり食した後獣は血のりを拭いて立ち上がった。

残された肉塊、立ち上がった獣、そのどちらもが同じ人間だった…






「じゃあ、いってくるよ誉。」

「はい。」


今日から俺の学校生活が始まる。制服に着替え真新しい教科書を入れたカバンを担ぎ、玄関の前で誉に挨拶した。のだが…

どういう訳か誉も制服に着替え靴を履き替えている。


「誉、まさかお前も学校に?」


「あれ、言ってませんでしたっけ?私はまだ17ですよ。」


これはどうも、ただの学校生活では済まなそうだ。


家の門をくぐる時、雫が庭の手入れをしているのが見えた。ここからでは挨拶しても聞こえないだろう…

俺は心の中で行って来ますと言った。別に聞こえなくてもいいと、ただ自分の中で言っておきたかったから。

でも俺には、雫がこちらを向いて挨拶を返してくれたような気がした。


「行きましょう、辰彦さん。」

学生服に身を包んだ誉れが俺の手を引っ張った。呼ぶだけならば声を掛けてくれれば済むというのに握られた手は屋敷が見えなくなっても離してはくれない。

まるで雫が俺に気づくのが嫌だったみたいだった。などと調子に乗った事を考える自分に嫌気がさして俺は自分の頭を小突いた。


「どうかなされましたか?辰彦さん。あ、もしかして呼び方が失礼でしたでしょうか。学校ではこのほうが自然かと思いまして。」

…、そういえば昨日までは辰彦様だったか。あまりに自然すぎて分からなかった。

「いや、そんな事ないよ。俺もそっちのほうがいい。」


俺がそういうと誉れはにこっと笑って掴んでいた手を離した。俺は少しだけ誉れがつかみ所のない人だと思った。




学校までさほど遠くなく、徒歩で15分の所にある。15分といっても何も喋らずに歩くには少し長い距離だ。俺は誉れに今一番気になっている事を聞いた。


「なぁ、誉。事故を起こす前の俺はどんなヤツだったんだ?」

「どんな、と言いますと?」

誉れは困った様子で俺に返した。確かに、いきなり自分はどんなヤツなのかと聞かれれば困るのは当たり前か。

「その趣味、とか、性格とか。」

だが俺は知りたかった。全く思い出せない自分の過去を。

「申し訳ありません。私がお屋敷で働き出したのは最近でして、昔の事は何も…ですがとてもお優しい方だったと聞かされております。それに…」


「それに?」


「辰彦さん辰彦さんですから、記憶が無くても辰彦さんには変わりませんよ。」



誉れと校門で別れて教務室へと行くまで、俺は今朝話した事について考えていた。

記憶や思い出の無い今の俺は一体何者なんだろうか。生まれたての赤ん坊と同じではないのだろうか。

今朝雫が気になった俺は一体何処にいるのだろうか。


「辰彦さん、申し訳ありませんが帰りはお一人で大丈夫でしょうか?私、少々やる事がありまして。」

「あぁ、大丈夫だよ。家までの道はちゃんと覚えたし。」



誉とは校門で別れ、俺は教務室へと向かった。去っていく誉れの背中が少しだけ寂しそうに見えたのは何故だったんだろうか。



「君が、新入生の?」

「あ…十条 辰彦です。」


担任の先生の声で俺はやっと現実へと戻った。この問題についてはまだまだ時間がかかりそうだ。それに誉れも言っていた。俺は俺…

何気なしに色々な思い出が今も出来ているじゃないか…それで十分だ。


「辰彦君、聞いているかね?」


突然ぬっと担任の先生の顔が飛び出して俺は少し後ずさりした。

がっちりとした体つきの男の先生、分厚いメガネに七三分けの髪型だがそれすらも逞しく思える雰囲気がある人だった。

周りに漂う気配が、普通の人と少し違うと思ったのは気のせいだろうか。何か人を圧迫するような押し迫るようなものがある人だ。

「私は君のクラス担任の中澤だ。宜しく。」

「あ、宜しくお願いします。」


中澤先生は俺の転入の書類を片付けると教務室を出た。俺は腰を低くして先生の後についていく。

そしておもむろにこんな話を始めた。

「最近悪い噂があってね。」

「噂…ですか?」

「あぁ、この学園の会談話みたいなものだ。なんでも人を食べる化け物が生徒に紛れ込んでいるという噂が広まっているんだよ。」

「人を食べる?食人鬼…。」

「そうそう、そう呼ばれているよ。今年に入って1ヶ月で2人の生徒が無くなってね、それもバラバラ死体で犯人も捕まらない。数少ない目撃者も化け物が出たと言っている。ニュースにも取り上げられたんだが、見なかったかね?」

「あ、いえ。」

「あぁそうだったね。君はつい先日まで…それでなのだが、クラスも雰囲気が少し悪くなっているようなのだ。もしかしたらクラスメートに殺人者いるかもしれないとね。私は馬鹿げた話だと思っているのだが、君はどう思うかね?」

「そ、そうですね。」

「そうだろうね。そんなモノがいるわけがないだろうね。そんなモノが…。」


俺は何故だろうか、この先生、いや人間にはいつまでたっても対等で喋る事が出来ないようなそんな気がした。今会談話を聞かされて恐怖を持ったのもその要因の一つなのだろうが、この中澤という人間は俺を超える何か、強さとは別な大きな何かをいくつも持っている。それが邪悪なものには感じられないが、俺は中澤先生に少なからず恐怖を抱いている事に変わりは無かった。

食人鬼はこの人かもしれない…なんの根拠も無いが俺にはそう思えた。




「十条 辰彦と言います。宜しくお願いします。」

クラスに挨拶をして、俺はクラスの人間を見回した。元気がありそうな、男子。新入生に期待を弾ませる女子。そして誰もが皆向けてくる視線は期待と喜びが混じっており、さほど雰囲気の悪さは感じない。

…、いや……二人だけ。明らかに空気の違う人間が一人…いや二人…

一人は長身の男子、そしてもう一人は長い髪を二つに結んだ女子。ツインテールというやつだろうか。




「十条の席は、そうだな。水嶋の隣がいいだろう。」

俺は先生の指定される席へと向かい席についた。そしてつくなりその水嶋という女子が俺の肩を叩く。

「私、水嶋 宝子(みずしま ほうこ)宜しくね。」

ショートカットが似合うその子は、元気のいい挨拶と笑顔で俺の緊張をほぐしてくれた。最初に声をかけてくれた人がこういう人で俺は安心した。


「あぁ、宜しく。転校初日で緊張していたんだ。ありがとう。」


俺が礼を言うと、水嶋さんは少し驚いた様子の後、にか〜と笑った。


「そんな事、礼を言われるほどの事じゃないよ。私の笑顔と元気はいつでもゼロ円で販売中なんだから。」


「これからも利用させてもらうよ。」


1限目は中澤先生の世界史の授業。教科書はあるのだが、あいにくまだ欠落していた資料があったらしく俺は隣の水嶋さんに机をくっつけて教科書を見せてもらう事に。

「宝子でいいよ。私の事…。」

授業中、資料を見ようと顔を寄せた時水嶋さんが言った。俺は少しドキっとて言葉に詰まったが。

「俺も辰彦でいいよ。あはは…。」


宝子さんて、近くで見ると結構可愛いな。…いや、いかんいかん。どこぞのダメ主人公のように気が多くては良くない。

俺は再び自分の頭を小突いて不埒な気持ちをいさめた。


そして不意に先程気になった人物と目があった。長身の男のほうだった。

「ねぇ、宝子さん。あの背の高い人は?」

俺が小さな声で聞くと、宝子さんも同じく小さな声で俺に教えてくれた。

「男の子のほうは荒神 一矢(あらがみ かずや) 剣道部のエースらしいけど愛想が悪くてクラスの人間ともほとんど喋らないの、一部女子には人気あるらしいけどちょっと怖い感じがするわね。女の子は夜霧 詠子(やぎり えいこ)あの子はもっとおとなしくて、よく分からないわ。でっかい家に一人暮らししてるって噂があるんだけど、とにかく謎ばっかり。」


やっぱり、二人とも何か怪しい…まぁ別段取り上げる事でもないか。


俺が荒神 一矢を凝視していると、鋭い目つきで俺の目を貫いてきた。俺は慌てて視線を逸らそうとするが、それより先に…


「俺とあの女には関わるな。」


荒神との距離は机3つ分も開いており、今は授業中。そんな中俺だけに気付くように喋る事など不可能なはず。だが俺には確かにそう聞こえた。

あの女とは、夜霧の事だろうか。俺がもう一度荒神のほうに視線をやると、荒神はもう元の姿勢に戻り黙々と授業を聞いていた。

あれは気のせいだったのだろうか。


「辰彦君?」

宝子さんの声に我に返る。

「ん?あぁ、何でもないよ。」


俺は誤魔化すように一限目の教科書を鞄から取り出した。

一限目は世界史、バッチリだ。教科書は全部揃っているし名前も昨日書き入れた。


「よし、授業を始めるぞ。では先日配った資料を出してくれ。」


先日…か。バッチリだと思っていたが今日から登校してきた俺に先日配った資料があるはずがない。俺はがっくりと肩を落として俯いた。

すると宝子さんがいきなり席を立って。

「先生、辰彦君は資料がありません。」

俺の事を気遣い宝子さんが先生に言ってくれた。

「あぁ、そうだったな。すまないが水嶋、見せてやってくれないか。」

「はい。」

そういうと宝子さんは机を寄せて資料を俺に見せてくれた。こういう場合は俺が机を寄せれば良かったのだが、タイミングをすっかり見失っていた。

「ありがとう、宝子さん。」


「いいえ、気にしないで。それより辰彦君ってあの町外れにある、おっきなお屋敷の人なんだよね?」

「ん?あぁ、そうだよ。」

「うわぁぁあ」

授業中な為先生にばれない程度の声で宝子さんは歓喜の声を上げた。


「私、前からあの屋敷にすっごく行きたかったの。だってあんなにも古いお屋敷だと、いわくつきのモノとかが沢山ありそうなんだもん。」


「いわくつき?って。例えば?」


「そーねー。呪いのお札とか呪いのフランス人形とか呪いの井戸とか呪いの…」


「あ、分かったよ。もう十分だ。」


まさか宝子さんって心霊マニア?この話になっていきなり目の色が変わったような気がするぞ。


「まだ家の中を色々調べた訳じゃないけどそういう類のものは無いよ。」


「えー、そうなの。残念。」


俺はまだ調べていない場所を思い出していたが、宝子さんには告げなかった。



その瞬間だった。何かが俺の肌を刺したような気配がした。

俺は咄嗟というよりも体が勝手に左腕を上げ、その気配がするほうへと視線を変えた。


「新入生転校早々私語が多いぞ。」


宝子さんとのお喋りについて怒る先生。しかしそれよりも俺が注目したのは、目の前に浮かんでいたチョークだった。

それは授業中に私語をしていた生徒に対する先生からの報復だったのだが、何故か俺の頭に当たる前に空中で止まり静止していた。

次の瞬間空中で静止していたチョークは再び動き出したが、俺は上げていた左腕でそれを掴む事に成功した。

「ごめんね、辰彦君。私のせいで。」

「あ、うん。大丈夫だよ。」

一体何が起きたのだろうか。あまりに短い間の出来事だったので俺以外の誰か、宝子さんも含めてそれに気づいた者はいない。これは俺の勘違いだったのだろうか。




昼休み、俺は誉れが作ってくれた弁当を宝子さんと広げていた所だった。体格のいい男子生徒が机の前に現れて鋭い目つきで俺を見下ろした。

宝子さんが何か言ったような気がしたが、それはその男子生徒のバカデカイ声に阻まれる。


「俺の名前は石渡 剛太(いしわたり ごうた)転校生、ちょっと面貸しな。」


宝子さんは石渡という男子生徒と知り合いらしく、石渡の行動に散々と文句や悪態をつけていたがこういう場合付いていくのが男というもの。俺は黙って石渡の後に付いていった。


連れてこられたのは体育館裏。人気は全く無く石渡にとってはここほど都合のいい場所はないだろう。まぁ何をするかはまだ分からないのだが…


「転校生、テメェを呼んだのは他でもねぇ!!」


「あぁ。」


石渡は俺に向かってピンと人差し指をさして叫んだ。


「この、石渡 剛太様と勝負しやがれ…。」


「大体予想はついていたが、何故だ!?」


「へっ、しゃらくせぇ、俺はさっきのアレ見てたんだ。飛んできたチョークを見もせずに受け止める。とても素人が出来る技じゃねぇ。侍…そうだ、オメェはおそらく侍。」


全然勘違いだよ。俺も気のせいかと思ったぐらいだし。と、大きな声で叫びたがったが…こういう手合いには何を言っても無駄なのは分かっている。

俺はぐっと堪えて石渡の話を聞き続けた。


「俺は負けるのが大嫌いだ。だから入学日に一年生全員(一部除く)にケンカを売って勝った。最後にテメェをボコって2年と3年を制圧する。」


とても乱暴なヤツだが自然と石渡を憎めないと思った。それは石渡が笑ってしまえる位真っ直ぐな人間だったので気が削がれたからだ。

ケンカなんてした事もないし、というか記憶がないのだが。それに自信もないが男としてこれに答えねばならないと俺は思った。


「理由は分かった。不本意ではあるが君が望んでいる以上受けなければならない。」


「ケケケ、いい度胸だ。お前みたいなヤツは嫌いじゃないぜ。いくぜ!!」



開始5分で俺は体力を使い果たし、ボディブローを貰ってあっさりとダウンした。

病気で寝ていたせいか、頭では分かっていても体がついてこない。まぁ最初から勝てる見込みは全く無かったのだが。

俺が痛みに悶えて寝転がっていると、石渡もさすがに疲れたのか隣に倒れこんだ。



「なぁ転校生。お前なんで本気にならなかったんだ?」


「本気だったさ。こんな痛い想いはしたくなかったからね。」


「いや、お前は本気じゃなかったさ。お前は俺を包み込むような気概を持って戦っていたからな。」


ようやく腹の痛みも引いて、俺は石渡の言葉をよくよく考えていた。

本気を出してないと言われても、体は十分過ぎるほど疲れているし見よう見まねの格闘技もそれなりに頑張ってみた。これ以上何を出せと石渡は言うのだろうか。


「今まで戦ったヤツは2種類だ。びくびく怯えて逃げる事しか考えてないヤツ、俺をブチノメス事しか考えてないヤツ。どっちにしたってそれしかねぇ。なのにお前はどっちでもねぇ。びびってる訳でもないし、キレる訳でもねぇ。まるでただ遊んでいるみたいだった。」


確かに言われてみれば転校初日にケンカを売られて、どてっ腹に一発貰ったにも関わらず俺は清々しい気持ちだった。逆に密度のある時間が過ごせた事に感謝している位だった。

他の人間とは何か違う。確かにそうかもしれない。


「俺、記憶喪失なんだ。昨日より前の記憶が無くてさ。だから普通のヤツとは違うのかもな…まだ夢見ごごちでね、現実感っていうのがまだ無いんだ。」


「なるほどね。そういう訳か…」


「それにそれだけじゃないさ。お前だってそうだったろ?」


俺がそう言うと石渡はキョトンとした顔でこっちを見返した。少し恥ずかしかったので俺は空を見上げて話したが…


「お前だって、俺と変わらなかっただろうって事さ。」


身の軽い走る足音が聞こえてきて、宝子さんが現れたのはそのすぐ後だった。

後から聞いた話によると、剛太と宝子さんは幼馴染らしく今でも仲がいいらしい。
しかしあの剛太の性格だ。今日みたいに宝子さんが日々手を焼いているに違いない。
転校生の俺を快く受け入れてくれた宝子さんの器量は、そこら辺から来ているのだろうか。



なんだかんだで俺の初の友達は、世話好きで心霊オタクの宝子さんと、バトルマニアで単純実直の剛太。自分でも濃い二人だなぁと思いつつ、校門で痴話ケンカをしながら帰宅する二人を見送った。


帰り道、俺はこの町の景色を眺めながらゆっくりと帰る事にした。今まで何も過去の記憶を思い出さなかった俺が景色を眺めた位で何かを思い出すはずはないとは分かっているが、もしかしたらという僅かな希望にすがっての思いつきだった。



「へー結構きれいなとこなんだな。」


学校のある郊外を抜けると人家の代わりに田畑が顔を出し、耳を澄ませば鳥の声や水のせせらぎが聞こえてきた。

趣のある場所を通りかかっては足を止めてみたが、やはり何も思い出さない。


「まぁ、こんな事じゃ無理…か。」


何かが小さく吠えた気がした。平穏な空間に紛れるように小さく、だがそれは異端だった。自然のそれとは違う感情を孕んだその声は、消して気のせいなんかじゃない。


後ろを振り返ると小高い山のふもとに石の階段が見える。どうやら神社のようだ。


記憶を求め彷徨っていた俺にとって、少しばかりの恐怖なぞどうという事はない。ただ好奇心の赴くままに俺は歩を進めていた。


石段は夕方の暗がりで赤色の木漏れ日が僅かに足元を照らしていた。気づかぬ間にもう夕方になっていたようだ。


「こんばんわ…」


石段を登りきった時だ。古い神社が顔を出したと同時に、俺と同じ制服を来た青年が声を掛けてきた。

青年は小柄な体で片手には本を持っている。にこやかな顔でこちらを眺めるその顔からは、少し大人びた印象が見受けられた。

「あ、こんばんわ…。」


こんな所に人がいるだなんて思ってもいなかったから、少し驚いていた俺は無愛想な返事を返した。
それでもその青年は笑顔で手招きして俺は言われるように隣に座った。


「こんな所に人が来るなんて珍しいね。」


「うん、何か不思議な声が聞こえてね、まるで狼の遠吠えのような。俺にだけ聞こえるような声だった。あれは…精霊の声だったかな…」


青年に問われ、思わず素直に答えてしまったが自分でも気のせいだと思っている事を言ってしまったので俺は赤面して顔を伏せた。

「あ、ごめん。今の冗談、別にただなんとなく来てみただけなんだ。今のは冗談…。」

俺が慌てていい訳すると、その青年はクスクスと笑い出して腹を抱えた。

「あはは…そうかどうやら君に聞こえてしまったようだね。」


「え?」


それって、あれは気のせいじゃ無かったって事?


「僕の名前は新木 一久(あらき ひとひさ)君は?僕と同じ高校みたいだね。」


「あ、あぁ。俺は十条 辰彦。今日転校してきたんだよ。1年のA組さ。」


「僕はC組。どうやら君と僕は同級生らしいね。」


「あぁ、そうみたいだね。そういえば何を読んでいたんだ?小説…みたいだけど。」


俺は新木が手にしていた本について尋ねてみた。


「…昔山で遭難した2人の若者がいてね。飢餓に苦しんだ一人がもう一人の若者を殺して食べてしまう。そうして命を永らえた若者は無事に家へと帰れたんだけど友を食べた背徳感から精神を病み、村の人間を残らず殺してその肉を食らってしまう。そんな悲しい物語さ。」


「そんな、いくらお腹が空いたからって友達を殺しちゃうなんて…。」


「そうだね。でもそれ以外に助かる方法は無かったんだ、仕方ないよ。」


「山で遭難した時に、どうにか二人とも助かる方法は無かったのかな?」


俺が言うと、今まで穏やかだった新木の顔を一変して深刻になった。まるでそんな事など考えた事さえ無かったかのように。

「無理だよ。食べられた方だっていつ同じ事をしてもおかしくない状況だったし、それに…」


新木はそれから一瞬間を置いて、言いずらそうに続けた。


「鬼になった若者はいじめられていたんだ。町の人全員からね…ただ気が弱いって理由だけで…一緒に遭難した若者も友人を装ってはいたけど、内心はどう思っていたかは分からない。」


「じゃあその仕返しって事?」


「あぁ、そうかもしれないね。」


「そんなの駄目だよ。」


「駄目?何が駄目なんだい。」


「そんな事したって何にもならない。今までずっと孤独だったのに自分の手でもっと孤独になってしまったじゃないか。きっと町の人を全員殺した後、寂しい気持ちになったと思うよ。」


「その後…その後か…ごめんよ。その後どうなったかはまだ読んでいないんだ。怖くてね。でも君の言った事が本当ならもう手遅れかもしれないな。」


「え?」


「君と…もう少し早くに出会えていたならこの先の結末を難なく読んでいただろうに」


その言葉は、神社に吹く風に紛れて俺の耳には余り聞こえなかった

何か悩み事があるのだろうか。新木君はとても優しそうな人だからきっと何かあるに違いない。

俺は人助け…とまではいかないが何か新木君にとって自分がいい影響を与えられればという安易な気持ちで俺は…

「ねぇ俺と友達にならない?」

とバカみたいに明るい顔で言ってみた。だが新木君は俺の期待していた反応とは違い、まるで俺がそう言うのを待っていたような微笑でいる。

「友達…か。僕も君と友達になりたいよ。」

「なれるよ。もう俺たち友達じゃないか。」

「…一つだけ質問をしていいかな?」

「あぁ。いいよ。」


「もし、あの物語のように君と僕が山で遭難して…お互いが飢餓に苦しんで、僕が君を殺そうとしたらどうする?」

「それでも二人で助かる方法を探すよ。」

その質問に答えたときに俺は少しだけ違和感を感じた。自分の発言について少し安易だったのではないかという疑問。

他の何かの二人が助かる方法…どちらかが食われるか、どちらとも食われるかしかない状況。そういう状況だと仮定しての話だというのに、もっと別な何かしらの方法をを見つけるという答えはあまりに幼稚すぎると思った。別な何かしらの方法を俺は本当に見つける事が出来るのだろうか。


「そうだね。君となら見つけられるかもしれないね。」

新木君の言葉を聞く前にそんな事を考えていた俺には、新木君が本心で言っているとは思えなかった。







家に帰ると、門の所でお爺さんが竹箒を滑らせていた。あれはもう三人目の使用人の…三人目と言っても会った順に俺が勝手に言っているだけだが…


「こんばんわ…」


「おぉ、お帰りなさい。辰彦様。」


こんなお爺さんに様付きっていうのも変な感じだが、きっと呼び捨てでいいって言っても断れるんだろうな。

「辰彦様とは今日始めて顔を合わせますな。私は庭師の 高松 清一郎(たかまつ せいいちろう)と申します。お見知りおきを…」

「えぇ、こちらこそ宜しくお願いします。」

「時に辰彦様…面妖な妖気を持ち帰られたようですな…」

「!!」


高松さんのその発言に俺は身を震わせた。面妖な妖気ってまるで妖怪にでも会ってきたみたいじゃないか。


「高松さん、そんな怖がらせないでくださいよ。」


「ほほほほ、冗談ですじゃよ。男はこれしきの事で臆するものでございませんぞ。」


なんだ冗談か。俺はほっと胸を撫で下ろして玄関へと向かった。


「しかし辰彦様よ。不穏な場所へは決して近寄ってはいけませんぞ。」


決して冗談ではない忠告に、俺は冷や汗をかきつつ玄関の戸を閉めた。



そうして、誉の料理で腹を満たした俺は早めに就寝した。今日あった事、今日出来た友達、そして最後に…あの神社で出会った新木の事…

何故だか眠るまで、俺は新木の事が頭から離れなかった。






そして翌朝…少々寝不足気味の俺に珍しく雫が話しかけてきた。丁度朝食のパンをほうばっていた時だ。

「辰彦様…」


「はえ?どうしらの?」


雫は腰を落として俺の体の隅々まで顔を近づけて鼻を鳴らした。匂いを嗅いでいるようだ。

「し、雫。もしかして俺、臭い?」


雫はいたってまじめな顔を上げて


「いえ、そのような事はございません。しかし辰彦様、余り無用心に人に近づくものではございません。」


無用心に?もしかして昨日剛太とケンカしたのがバレたのかな。それにしても匂いを嗅ぐって…

というか昨日高松さんもそんな事言ってたな。本当に妖怪の類のものだろうか。

俺は困惑しながら誉に視線を送った。

誉はにっこりと笑ってから少しばかりため息をついている。誉の癖?なのかな…







学校へ着いても俺は新木の事について考えていた。神社で出会ったあの人…

他の人間とは違う何か。儚げで、まるでこの世に存在していなかった感覚は、夕暮れの神社という場所が見せた夢だったのだろうか。


山で遭難した二人の若者




…歩いて、歩いて、歩いて…

日が暮れ夜の冷気が忍び寄り、足から順に纏わりつく。

1日2日3日…

疲労と悲しみと絶望とが心を削ぎ落とし空腹が更に追い討ちを掛ける。

死の足音が夕闇と共に忍び寄ったとき心に支えを持たない若者は狂気に支配された。

自らの手を友人の血に染めた時でさえ若者の心には朦朧とした殺意しかなかったのだろうか。

人の臓物をその歯でかみ締めた時にもその目に涙を見せなかったのだろうか。

いや気付かなかっただけだ。涙は血に、後悔は暗闇に混ざっただけ。


きっと泣いていたに違いない。誰に見てもらえる訳でも無く、ただ一人で泣いていたに違いない。



「辰彦君、大丈夫?」



宝子さんの声で、俺は我に帰った。暫く考え事をしていて回りの事などまるで目に入らなかったので、宝子さんには変に見えていただろう。


「あ、ごめん。ちょっと考え事を。」


目の前には今朝誉が持たせてくれた重箱の弁当。昼休みに弁当を食べている最中だった。

横を見ると剛太が物凄い勢いで弁当をかきこんでいる。

宝子さんとは一緒に弁当を食べなかった剛太だったが、どうやら俺が気に入られたらしく一緒に弁当を食べている。
放っておくと宝子さんとすぐ口げんかが始まってしまうが賑やかなのは歓迎なので俺としては嬉しかった。

そういえば宝子さんは昨日神社で出会った新木君の事を知っているだろうか。

「ねぇ宝子さん。新木 一久って人知ってる?」

「新木…新木君…あー確かいるわね。でもあんまり目立つ子じゃないから詳しい事は分からないわね。どうかしたの?」

「あぁ、ちょっと昨日の帰り道に会ってね。」

「ふーん。」

俺たちの会話をよそに剛太はもくもくと、というかがつがつと弁当をかきこんでいた。その音が俺と宝子さんの会話に水をさす。

「ちょっと剛太。そんなに勢い良く食べたら詰まらせるわよ。」

「んあ、ひょっと。急のようひがあるんあ。」


母親のように剛太を注意する宝子さんだったが、剛太は食べながら喋って為宝子さんの口にご飯粒が…
宝子さんは更に機嫌を悪くしているようだ。


「ちょっと!!食うか喋るかどっちかにしなさないよ。」


剛太は水筒のお茶を一気飲みしてから一息つき、机を叩いて勢い良く喋りだした。


「岡田の野郎が悪巧みをしているらしくてなちょっくらシメてくるってわけさ。」

「岡田君ってあの弱いものイジメばっかりしてる?」

「そうそうその岡田だよ。あいつのせいで学校に来ないヤツがいてな、そいつが外出してるっていう噂がたってわざわざ足を運んでまたちょっかいだそうなんて事をたくらんでるらしい。」

「うげー、岡田君って最低。剛太、私が許すわ。岡田君をこらしめてきなさい。」

「テメェは水戸のじっちゃんかよ。んじゃ、俺はいくぜッ。」


剛太は食べ終わった弁当箱を急いで片付けた。空になった弁当箱にはさっき剛太が食べていたハンバーグの肉汁とケチャップがついている。

その時、俺は剛太をこのまま行かせてはならないような気がして席を立った。


「剛太俺も連れてってくれないか?ちょっと気になる事があって。」

「なぁに?いっとくが見学ならいらねぇぜ。もやしはひっこんでな。」

「自分の身位自分で守れるさ。」

「…イキがるじゃねぇか。だが急ぎなんだ着いてこれなきゃ置いてくぜ。」

学校内だというのにいきなりダッシュする剛太。俺も続いて床を蹴った。毎回の事だが宝子さんが後ろで何かをわめいているのが聞こえた。

「もー男って本当にバカばっかりなんだから…」

取り残された宝子は腕組みをして大きなため息をついた。剛太だけでも手を焼いていたというのにもう一人トラブルメーカーが増えるのかと思うと自然とため息が出るのはしょうがない事なのかもしれない。

「………あれ………??」


先ほど剛太のせいで落ち着いて考えられなかったが、新木君の事を宝子は考えていた。

辰彦が昨日会話を交わしたという新木 人久と…会話を交わす…

そんな事が出来るのだろうか。辰彦が昨日出会った人間が新木の名前を借りて辰彦を騙さないかぎり辰彦が新木に会う事など出来ない。

何故なら新木 人久という人間は…

「イジメを苦にして仲のよかった友人と共に…自殺してしまったんだから…。」
















学校を出てから剛太は常にトップスピードで走り続けている。まず運動をしていない人間ならついていけないだろう。

しかし不思議と俺は剛太についていく事が出来た。ずっと眠っていて体力など無いものだと思っていたがどこまでも走れるような気分だ。

呼吸や体重の運びを体が覚えている。自然と俺は剛太と並んで走っていた。


そして剛太が足を止めた場所。それは俺も見覚えのある場所だった。

嫌な予感が当たった…ここは昨日俺が新木君と出会った神社。俺は肝が縮み上がるのを感じた。

「転校生、怖いならここで待っててもいいんだぞ?」

俺は恐怖をぐっと押さえ込み、強い声で剛太に返した。

「辰彦だ。次からはそう呼べ。」

「OK。行くぞ辰彦!!」


神社の石段を駆け上がる。昨日なら、心地よい夕暮れ時に新木君が一人本を読んでいた場所だ。それに引き換え今日はどこからか灰色の雲が集まり薄暗い上に今にも雨が降りそうな天気だ。そして頂上が近づくにつれて男の悲鳴が聞こえてくる。新木君だろうか…


しかし神社について飛び込んで来たのは全く別のものだった。俺は最初何がどうなっているのかさえ分からなかった。

いたのは確かに新木君と岡田と言われる男子生徒とその仲間。だが…岡田とその仲間達は体中を痛めつけられ出血をしている者もいる。よくみると腕や足が変な方向に曲がっているなど。相当な暴行を加えられたようだ。

そしてその倒れた怪我人達の中心で平然と立っていたのが新木君だった。

制服は血で汚れ、拳にも血がこびり付いている。これは新木君がやったのか?


「なんだ。またここに来ちゃったんだ。」


こんな異常な状況だっていうのに新木君は昨日と変わらぬ偽りの微笑みでそう言った。でも雰囲気は昨日とは違う、絡みつくような殺気が当たりを覆っていた。それに触発されんだと思う。俺だってこのまま立っていたらそのまま死んでしまいそうな殺気だったから。剛太は間をおかず新木に殴りかかった。

俺は剛太の背中を見つめてこのまま新木君が殴り飛ばされる事を願っていた。そうしたら俺は剛太を止めて新木君に何があったのかを聞こうと、そんな考えを巡らせていた。

こんな獣じみた破壊行為を新木君がするはずない。きっと何かの間違いなんだ。そんな自分を棚に上げたような考えがいかに愚かだったかと気付くのは、剛太の血しぶきが神社の地面を赤く染めた後だった。


最悪…万が一…もしも時…そんな言葉でこの事態を予想していたにも関わらず、それはならないだろうという安易な考えをしていたんだ。

俺は飛び出さなきゃいけなかったんだ。嫌な予感がしてついていくと言ったのは俺だろうが!!


俺は拳を握り締めながら叫んだ。


「止めろ!!新木 人久!!」


新木は俺に視線を移して、掴んでいた剛太を投げ捨てた。剛太はまるでゴムボールのようにはねて地面を滑って止まった。

新木は何か特別な力を有している。こんな怪力が人間に出せる訳がない。


「新木君、君は一体どうなってしまったんだ。こんな事をするなんて…。」


新木はズボンの裾で手についた血のりを拭って、剛太を含めた自分が傷つけたであろう者達を見下ろしてもう一度俺に視線を移した。


「君を…君を巻き込みたくは無かったんだけどね。ごめんよ、でももう遅いんだ。俺はもう新木 人久じゃないんだ。人を食い鬼…食人鬼さ…あの物語の主人公のように俺は友を食った。」


「一体どういう事なんだ。」


「自分でもまだ信じられないんだ。全ての始まりはこの面を見つけた事から始まった。」

そういうと新木は鬼を模した真っ赤な面を懐から取り出した。その面の表情はまるでこの世の全てが敵であるように、そしてそれを破壊出来る力を持っている。そういった邪気が溢れているような気配を感じる。


「僕は今まで自分なりの正義を貫いてきたつもりだったよ。悪と思うものは軽蔑し、そういった友も寄せ付けなかった。自然とおとなしい人間が僕の周りには集まったよ。僕はその誰もがいい人間だと信じて接してきた。他人を高圧する人間を避けている人間は他人の為に何かが出来る人間なんだと…でもこの岡田が現れて僕とその友達をイジメ始めると、なすりつけるように仲間達は僕から離れていった。その時から少し考えが変わってきたんだ、一般的に悪に位置づけするものを嫌う人間が必ずしも善だとは限らない。そしてこの僕でさえも善を求めてきた理由がただ悪が怖かっただけ…今までかたくなに守ってきた正義は、毎日おびえて自分は悪くないんだと理由を探すだけのいい訳だったんだ。」


新木は更に岡田に歩み寄り岡田の頭を足げににして話を続けた。


「岡田が僕に対する最後のいじめとして考えたのが僕の一番仲良かった友人をいじめまくる事。そしてその友人心身ともに限界を迎えた時こう言ったんだ、新木に一緒に自殺しようと持ちかけて新木一人を殺して来い。僕はその会話を影に隠れて聞いていた。友人を助けようと出る機会を伺っている時にね…結局一度として飛び出せた事はなかったけど…」


新木は更に岡田の頭を踏み潰した。もうやめてくれと言ったであろう岡田の呻き声が俺の耳には届いていた。それでも体は動かない…


「きっと友人は岡田のそんな黒い提案には乗らない。このクズ野郎を見返えしてやる方法が何かきっとある。だがその夜俺に自殺を提案する電話がその友人から掛かってきた。何か他の方法なんて結局のところ無かった。あったとしてもそれをやる勇気が無かった。そして俺はこの面に出会った。絶望が身を蝕みそしていつしか怒りが心を支配するようになって、俺は引き寄せられるように家の蔵にあったこの面を見つけた。それに触った時全てが分かった。この面は鬼になる為のきっかけ…でも代償に鬼の力を得る為には人の血肉が必要。俺は友人の自殺の提案にのせられるふりをして逆に友人を食い殺した。内臓から…骨…血の一滴にいたるまで…初めて食べた人間の味はまるで大好きな女の子にキスをしたようなそんな気分だったよ。そして僕は力を手に入れた。」


新木は小さな笑いを堪えながらその面を顔にはめた。その面の赤色が全身に広がり、新木の体が膨れ上がった。一薙ぎで大木を折りそうな腕、丸太のような足、鋼のような胴体。それはまさしく昔から伝えられる暴力の象徴鬼そのものだった。

面をつけて人間の体が変化するなどいう事が起こりうるのだろうか。あの鬼の面にそんな不可思議な力があったのいうのか。

今はそんな事を考えている場合じゃない。剛太君を…そしてここにいる人間を新木から助けなければ…

何か他のもっといい方法なんて結局ないんだ。どちらかを決めなければならない。例え涙を流す事になろうとも…


「今から僕はここにいる岡田とその仲間を少しづつ弄びながら殺すよ。死という恐怖を十分に味合わせながらね。君とさっき投げ飛ばした人を担いで帰るといい。何も見なかった事にして。後味は悪いだろうけどそれが一番いいよ。」


新木は鬼の姿になっても冷静にその提案を淡々を言った。怖い…逃げたい…でも…でも俺は…でも俺は自分という人間に向き合って前に進みたいんだ。あの違和感や剛太を傷つけてしまった過ちをこのまま放っておく罪悪感は、恐怖をも越える衝動だ。


「昨日君に聞かれた質問を訂正させてもらうよ。友が過ちを犯そうとした時は、僕も一緒にその業を背負うよ。」


「それは戦う…という意味で捉えてもいいのかな。僕が他人を食い殺すように、君が僕を殺すと…なんら人生において絶望を感じていない君が僕を殺すっていうのか…滑稽だよ。全く意味がない。」


「昔の君なら意味がある無いの考えなんて持っていなかっただろう。ただ少しの勇気が君には足りなかっただけだよ。俺だって怖くて全身震えているんだ、でもはっきりと言葉にして言うよ。君を殺す…」














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